夜の下井草を歩いていると、ふと目に留まる灯りがある。
胃袋だけでなく、気持ちまで面倒を見てくれそうな、そんな気配をまとった灯りだ。
理由ははっきりしない。
ただ、こういう店が街にあること自体が、少しうれしかった。
夜の通りに溶け込みながら、ちゃんと「ここに店がありますよ」と主張している。
こういう店に、だいたい外れはない。

なぜか居酒屋なのに夜定食の文字、実はちょっと不思議な感じがして頭から離れなかったんだ

そして夜定食の一番上に書いてある刺身定食、これもなんとなくだけど、ずっと頭から離れなかった。
暖簾をくぐると、そこは思った通りの空間だった。
肩ひじ張らないけれど、だらしなくはない。
木の質感が残る外観と、少し年季の入った看板が、この店が積み重ねてきた時間を静かに物語っている。
もちろん頼んだのは、ずっと頭から離れなかったお刺身定食。
マグロ、エビ、サーモン、タイ、そして白身。どれも厚みがあり、色つやがいい。切り口の角もしっかりとピンとたっていて丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。
そして添えられた厚揚げの煮物、れんこんの小鉢は、決して脇役ではなく、きちんと定食の一部として存在感がある。あおさの味噌汁の香りがふわっと立ちのぼり、白いご飯が自然と進む。

派手さはない。でも、ひとつひとつに無理がなく、誠実だ。
「ちゃんとしたものを、ちゃんと出す」その姿勢が、皿の上から伝わってくる。
食事を終えるころには、満腹というより、少し整えられた気分になっていた。
うまいものを食べたという満足感と、日常が少しだけ正しい位置に戻ったような感覚。
いい定食屋というのは、胃袋だけでなく、気持ちまで面倒を見てくれるものなのかもしれない。
ふつうは腹が減ったから店に入るのだけれど、
今日は、胃袋だけでなく気持ちまで面倒を見てくれる場所を探していたのかもしれない。
この店の灯りと料理には、そんな安心感があった。
お店をでたときはとても幸せな気分でした。どうもごちそうさまでした。
<おまけ>
刺身という料理は、実はとても正直だと思うんです。
火も油も使わず、素材と包丁仕事、そして切り方だけで味が決まる。
だからこそ、こうして何種類も少しずつ並ぶと、店の姿勢まで自然と伝わってくる気もしますよね。 ちなみに「刺身」という言葉が文献に登場するのは室町時代なのだそうです。
魚の名前を書いた札を身に“刺して”区別したことから、「刺身」と呼ばれるようになった、という説がよく知られています。ということは実は千年以上前から日本で食べられてきた料理だということですよね。手を加えすぎず、素材を信じて切るだけ。
そんな日本人の食の美意識が、いまもこうして定食の一角に息づいているのがうれしい気がします。
